今どきの若もんは・・・

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古代エジプトの時代から「今どきの若もんは・・・」っていうのが慣用句だった様ですが、同じように「今どきの年寄り連中ときたら・・・」っていうのは無かったんですかね?

それは冗談として、「今どきの若もんは」っていうのは必ず「我々の若い頃は」っていうお年寄り自身の"記憶"との比較があって初めて成り立つ言葉です。

「我々はこんな苦労をして来たんだ」とか「世の中そんなに甘くなかったぞ」などという自身の"記憶"と今の若者を比較するからこそ「今の若もんは」ってなる訳で。

さて、相変わらずどうでも良いことにこだわりますが、ここには問題点が三つ。

一つは「果たしてその"記憶"は正しいの?」ということ。次は「自分と同じ経験をすることは良いことなの?」ということ。最後は「比較することに意味があるの?」ということ。はい、どうでも良い!?

取り敢えず私見を先に言っちゃうと、「今どきの若もんは」というセリフはそれを言ったお年寄りの自己満足・自己弁護・自己正当化の産物、自己中の極みです。

何故なら"記憶"がすべて正しい訳無いし、自分も苦労したんだからお前もなんてのはエゴだし、時代背景などが違う二点を比較するのは意味無いし。

 ☆

ちょっと過激?ご容赦。ところでなぜ突然こんなことを考え出したかというと、自身が既にお年寄りの領域だから。

怠惰なリタイア生活。大して新しい話があるわけもなく、振り返ってみると酔っ払って喋ってるのは大抵若かりし頃の苦労話?しかも"誇張""美化""虚偽""独善"のオンパレード。危ない!危ない!

さすがに「オレに比べて今の奴らは」とまでは言ったことはありませんが、ハタと「これはマズイぞ!」と気づいた次第。面目ない。

 ☆

話は変わって、「30年修行して一人前」なんて職人とかの世界でよく耳にするお話です。後輩に「オレも30年頑張ったんだからお前も30年頑張って修行しろ」とか。

でも、見方を変えてこれを"技の継承"とか"さらなる発展"が目的だったとすると、自分が30年掛かって身につけた技を15年で習得出来るようにしてあげるのが先輩の役割りとなる。

つまり、もしそれが目的ならば「オレがやってきたんだからオマエも」なんてのは言語道断。それは単に「自分を超えさせたくない」「自分と同じ苦労をすべきだ」という先輩の"オゴリ"でしかない。

さて、職人の世界における後輩を指導する目的とは如何に?なんて置いといて、もっと一般的に世の先達と呼ばれる人に期待される目的とか役割りとは?

 ☆

「今どきの若もんは」っていうより「今どきの年寄り連中ときたら」っていう方が心情的にシックリ来る私。それをいっちゃうと所詮同じ穴のムジナですが。失礼。

でも、「今どきの若もんは」なんて上から目線で言ってる人達に「そんな若もんを作ってきたのはあんた達でしょ!」って言いたくて。

そんな想いを自分マニフェストに託し、前回のように棄権することなく選挙に望みます。


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