駄文の正体

画像


好きな星新一さんには程遠く、最近このブログ、だんだん文字数が多くなってる様です。大して中身もないのに無駄な長文、人はそれを駄文という。

昔から即断即決・即行動を旨としてたはずが、近頃なかなか決めきれず「迷う」場面がチラホラ。メシ屋でメニューに迷ったり、自由席でどこに座るか迷ったり。

ブログの作文?でいうとアレもコレもで取り留めもなくダラダラと。いま作成中の旅行計画もそう、アッチもコッチもでどんどん日程が長くなる。

はてさて決断力の衰退、先のエントリーじゃないですがこれも老化現象?

 ☆

なぜ決められないのか、なぜ迷うのか、なぜ歳とともにそうなるのか、私なりに洞察してみました(そもそもそれが無駄?)。

私が出した結論、ちょっと間違えると宗教がかった話になっちゃいますが、迷うのは「欲」があるから。う~ん、どうでしょう?ひょっとしたら寂静さんでも言いそう。

欲があるから迷う。欲といっても知識欲とか向上心とかの高尚なもの?ではなく、選びそこなって損したくない、あっちにしとけば良かったなんて後悔をしたくない、一番の選択をしたい、そんなレベルのチンケな欲。

浅草は雷門でよく見かける風景、記念撮影のオバちゃんがカメラを構えたまま固まってる、っていうかシャッターを押すまでの時間がハンパじゃない。一番良い写真を撮りたいと思って自分の中でいろいろ葛藤してるんでしょう。

そんなレベルの欲が老い先短くなるのと反比例してだんだん強くなる。だから迷う。自らを振り返ってそんな気がします。

 ☆

さて、もしそれが本当に老いの表れだとしたら、その進行を遅らせるためにはどうしたら良いか?などと次の考察。

それは「形から入る」こと。つまり、たとえあれこれ迷っても無理やり即断即決してしまうこと。これを習慣付けること。人間、形に拘ると本質がそんな風に変わっていくもの。環境に順応していく動物本来の性です。

ということで、意識して即断即決を旨としていれば多少は老いの進行を遅らせられるのではないか、というのが今回訴求したかった一人よがりの私説です。結局長文、失礼。

 ☆

蛇足ですが、記念撮影を頼むんだったら「迷う」オバちゃんではなく若い男性。おじさんはスマフォが使えません。ハッハッハッ!


画像

画像

画像画像画像

"駄文の正体" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント